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たまになぞらえ日記帳

世にに明るいメッセージを発信します。  

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Neque porro quisquam est qui dolorem ipsum quia dolor sit amet, consectetur, adipisci velit 同様に、悲しみそのものを、それが悲しみであるという理由で愛する者や、それゆえ得ようとする者は、どこにもいない。

紅葉の写真から

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奈良公園の紅葉



朝晩の冷え込みが厳しくなり、石油ストーブなどの準備がこれからだ、思わず、「寒い、寒い」と口に出でてしまいそうな気候になってきた。真宗ならではの行事「報恩講」の隣字のお参り合いも、本日で終わった。本格的な秋が深まりを魅せる時になった。隣寺の参り合いが終わったものの、ご門徒様の各家のお参りは、これからが正念場だ。うかうかしていられ
ない。まず、気をつけねばならないのは、法話の準備作業だ、相変わらずの「一太郎」での入力だが、これが一苦労。昔なら手書きの原稿を何度も遂行を繰り返し、原稿が朱を入れ、まっかっかな原稿を覚え話をさせていただいたが、今は「脱稿」を重ね綺麗な「黒字」印刷で原稿にせねば、気が済まぬように頭がなって仕舞っている。「便利」そうで、これが「不便」だ。脱稿を繰り返すと、肝心な所まで消してしまうことがあり、いざ本番となると、その箇所が紙面からも頭からも出てこない時があるからやっかいなものだ。
 そう思いつつ、作成の繰り返しの続くのだろう。お参りをさせていただいても、隣近所参り合いをしているから同じ話は、やはり出来ない。
 この頃は、原点に返り、その思いを強くしている。質問も出る、まともに返せて当たり前、返せなければ不勉強という醜態を晒すことになる。
 そういう思いを大事にして、日々勉強していけば、少しはましな住職に成れるかなと愚問を抱きつつ、明日から再勉強、再勉強、やはり人には
良い話題を届けていきたい。
 写真だが、10年前の奈良だっただろうか、おそらく東大寺か奈良公園の近くで撮影したものだ。幸い劣化がしていなかった。これまた、ラッキーであったが、初心に返れば思い出す事があった。
 三脚のことだ、このころは三脚何座使わなくても良い写真は取れると思っていたが、これが「何にも知らずの認識不足」だったことを思い出した。この写真は夕刻に撮影したものだが、おそらくは三脚は使用していなかっただろう。夕刻になると、カメラ撮影は三脚を使用していないと必ずぶれてしまうと言うことだ、夕刻になればなるほど人間の視覚は昼間ほど正常には働かない。そんな基本的な事が認識できていなかった、三脚で固定化して撮影せねばどの写真も、夜になるほどぶれてしまう。だからこそ、しっかりとした「固定」が必要だ。
 昼間の撮影でも、同じ事だ、いい写真を撮るのはやはり、三脚がいる。手ぶれなどが絶対に生じてしまう。写真を拡大すればするほど、ぶれも目立つようになる。
 人の成長とて同じ、しっかりとした「固定」された信条・思想・宗教がなければ、人は成長できない、そう思えば我が人生、独りよがりでぶれてばっかりでなかったか、歳を行けば行くほど、周囲におもねり、揺れてばっかりでなかったか。
 反省しつつも、明日から、めげずに頑張るとしよう。心の三脚は、自分でしっかり固定し、心のカメラで視覚を満足させ、しっかりとしたもので周囲を見渡したいものである。そうしなければ、いい原稿もかけず、良い話も出来ないと思う。短く終わるつもりがまた、長くなってしまった。

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今年中に、復活します。

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いろいろと、ブログを変えてきましたが、このブログのよさを再確認し復活することに決めました。今年中に何とか投稿をします。ご期待下さい。

いい歳になると良いね?!

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やがて正月を迎える、近隣のスーパーは相変わらず、車の出入りが激しい。行き交う人々も、やはり師走だと言うことで足を止めることも少ない。ただ、このときは、時の過ぎ去る、慌ただしさを感じる。
 こちらも、明日の寺の法要に先立ち、本堂の準備を行った。当方も腰が痛く、腰を低くして拭き掃除は困難となった。畳に掃除機をかけるのが、関の山だ。
 本堂内陣の清掃、堂内全体の清掃、清掃が終わり座布団を引き、仏様の花立て、本堂前の草刈り、・・・器が小さい本堂だが、結構まめにやると時間のたつのを忘れる。あと暖房器具の点検、石油ストーブの石油入れ、御佛飯の入れる器の掃除、寺前の掃き掃除等々、・・・体が疲れているなんて言っていられない。まあ、元気に動けることに感謝をすることとしよう。
 草むしりをしながら、いろいろと考えてみた。小粒の砂利の敷かれた本堂の前は、草も生えにくくなったが、冬場とはいえやはり雑草がすこし生えてくる。
 2センチにも満たない、もっと小さい草では1センチ、5ミリの草が、ここぞとばかりに生えている。軍手ではとれない大きさだ、素手で取るのだが、小さな草とて生命力の固まりなのだ。雑草とは、なんとたくましい生命力なのかと思う。
 寺の境内を宇宙に例えるならば、小石のひとかけらが「人」のようなものだ。地球に蠢いている何十億の人類も寺の境内の「固まり」に例えれば、人とはなんと小さな物か。とりわけ、境内に散らばる雑草が「国際的諸問題・政治・雑事」と言う物になるのか。
 逆に雑草が人の「存在」であったりと、あれこれと思案をめぐらせてみる。
雑草も一端場所を見てつまもうとするのだが、周囲全体を見渡すと、細かな所の場所を探しあぐねてしまう。その場所がわからなくなる、人の人生とは先の見えてるようで、何かきっかけがあると、先が見えなくなったり、見えたり、消えてしまってしまう感覚になる。
 小宇宙の中にも、人間の本質を見る「哲学」が隠されているような気がしてならない。

 こんな記事ばかり書くのがいいのかわからない、在るブロガーは、「断筆宣言」をした人もあるそうな。言論の自由さえも許されない時代になるのか、相変わらずくらい話題も絶えない。先頃、機密保護法案が、成立したという話だが、ブログを書くことすら警察の取り締まりの対象になるなら、このブロブの継続さえ困難になるのかとも思っても見たり、寒々とした時代にはなってほしくないものだ。

 日本が右翼化したという海外報道のネタ話が絶えぬが、安部首相が靖国神社に参拝しただけで、変な状況になっている。近年、中国、韓国は靖国神社に首相が参拝しただけで、軍国主義復活の大合唱だ。中国、韓国以外はほとんど批判もあがっていない。軍国主義、侵略の定義さえ、まともに述べず攻撃のし放題、訳の分からぬ「文句」だけをあげつらう。洗脳された頭脳は、オーム返しのように、反復する。挙げ句の果ては、また反日デモで、日系企業が危険にさらされる状態にならねばいいのだが。新年を迎えるのだが、国際情勢は出だしは、明るい話題はないようだ。ソチオリンピックとて、自爆テロが心配される時代だ。

(あるyou tubeの映像を見ていたら、こんな場面が出てきた。中国人留学生が、靖国には、A級戦犯が祀られている、だから、靖国神社は、恐ろしい所だと言うような場面だったと思う。日本人の批評家が、A級戦犯とは何かと聞くと、中国人留学生は、何らコメントを返すことが出来なかった。B・C級戦犯の問いにも何にも、返事が出来なかった。A級戦犯で、戦後、総理大臣になった人物の名前も返事がなかった。中国人留学生の、見識不足は甚だしい。結局、中国共産党政府の、わめきちらす言葉を鵜呑みにし、それ以上の「考え、しゃべる」論理的思考が欠如していたようだ。国家の言う論理に振り回され、思考力さえ停止させる「中国共産主義」のお粗末さを垣間見た。日本人とは違い、思考力の停止した人間の姿を見ることは、実に哀れだ。こんな人間にはなりたくないものだ。まだ、言論の思想の自由が認められている日本の方がましなのか。まあ、留学生自体には、罪はないのだが。教育とは、恐ろしい物だ、人の人格、思想までも、コントロールされ、幅広い思考が出来ない姿は、実に見下げ果てた物であった。)

※ちなみにA級戦犯で総理大臣になった人物とは、岸総理大臣のことである。

まあ、中国の現代の「反日病」は一時の流行病(はやりやまい)、日本の「反韓・反中」病は、日本を覆い尽くした一時の流行病(はやりやまい)なのだろうか。日本の現代人は、こうした病に冒されているのかも知れぬ。国の状態、社会の状態、経済の状態、人の心まで、奥深く入り込んで中々治りそうにない。こうした状態に我が身も侵されているから、なんとも情けない我が身か。一時も早く、つまらぬ病魔から抜け出さなければならぬとおもう。つまらぬ土俵に身を置きたくはないものと思う。仏教で言う、無我の境地で世間を、社会を見ることの出来ぬ我が身もふがいないのだが。はてはて、生きることはやはり難しい。

 暗い話題には話を進めたくないのだが、日本人とて、グローバル化された国際時代のまっただ中にいる。怖いとばっちりには、遭遇したくはないものだ。

 まあ、来たる歳も、健康で、豆に動き回り、隣人をねぎらい、優しく地域でゆったりと過ごしたい。

 来たる良い歳を迎えるために、十数名の勤めていた先の同僚・上司に来年のカレンダーを贈呈したが、ある上司から「鯛」と「海魚」のお返しがあった。思いがけないことであっただけに、喜びも一塩であった。カレンダーの贈呈は、なにも期待していなかっただけに、「良い期待はずれ」であった。人は物事に代償を求めれば、心は卑屈になり、代償を得られれば、更に欲を拡大して見下げ果てた心の低級下を招く。物事に代償を求めず、ただ一筋の

「無我」の境地で何事にも立ち向かいながら生きたいものである。

 やはり、地域のつきあいは大切にするものだ、来年はめで「鯛」(たい)歳(とし)としたいのだが、そう行くのは「やはり自分の心得次第」か。やはりの文句が、「やはり」出てしまった。

 みなさんも。めで「鯛」(たい)歳(とし)となるように、今日はこれまでとしておこう。

写真は次回としておこう。
※気がつけば、このブログも書き込み停止になるようで、ブログは、京都地域エリアブログ・):http://kyoto.areablog.jp/342yy2848

に移転をしましたので、そちらの方をアクセスしてください。

ブログ名は、「古風土近江万葉人さすらい旅日記」です。こちらの方は、今までの原稿と被さる部分がありますがよろしくアクセスのほどお願い申し上げます。

このほかに、「古風土近江万葉人の日々つれづれ草」
古風土近江万葉人の日々つれづれ草 http://blog.goo.ne.jp/umokkn321
のブログも出しています。
内容はほぼ同じ原稿ですが、時折今までの原稿に変更を加えて書かれているところも在りますのでよろしくお願いします。こちらは、今までに他のブログで書かれた原稿も含まれています。約650原稿のブログ原稿がご覧いただけます。
他に、同一内容で書かれた「日々のうつろいカメラ日記」などもあります。そのurlは、
http://hibiuturoi.blog82.fc2.com/ 等があります。何れかのお好きなブログで、末永くご愛読ください。

其れでは、これがこのブログでは最後の原稿と致します。長らくのご愛顧・ご愛読ありがとうございました。

アクセスをいただきました皆様のご多幸・ご健勝を願いまして、このブログの最終投稿とさせていただきます。

なお、現在は京都地域エリアブログの「古風土近江万葉人さすらい旅日記」の原稿の投稿が主になっていますことを申し添えます。京都地域エリアブログでは、わが原稿は「週間アクセスランキング第2位」にランキングされたこともあり、結構好評のようです。1原稿で約8千5百人のアクセスがあります。最近は、週間ランキングは、18位と低迷してますが、またランキングアップされると思っています。
また、コメントなどお寄せください。お待ちしています。

秋の花・コスモス

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kosumosu


 個人的なことだが、10月に入り少し落ち着いたようだ、寺の法要(親鸞聖人750回大遠忌法要・報恩講)も無事終わった。周囲は、秋とは言え未だ夏模様の世界だ。それにしても、暑い日々が続く、従来なら冬装束で法要に望むのだが、近隣の寺とは申し合わせを行い、夏の装束で行った。それでも暑さを、もろに感じた。
 いつものことなら、夏の法要装束は9月いっぱいで終わるのだが、異常気象も影響している。10月の法要では、珍しく扇風機も回した。参詣者も、さぞかし暑かったことだろう。
 僧侶の法要時の服装は、シャツの上に襦袢を着て、白衣を纏い袴をはき、色衣を纏い、その上にさらに七条袈裟を纏う・・・本当に体にいくつもの布を巻き付けているのだから、実に汗をよくかく。こうした状態で、法要を一時間から二時間あまりこなすのだから、疲労度が増幅する。体中、汗をよくかいた、・・・法要が終わり、各参勤の僧侶方が退出されるまで、失敗の許されぬ儀式の世界である。
 一日の長さが、二日にも三日にも感じられた。法要が終わり、休息を取り、体を少し休ませることにした。今、その最中だ・・・この週、体を厭うことにする。次のステップまでの休息ということだ。

 前の原稿にも書いたが、母の健康状態が芳しくない。歩きづらくなってきている、注射をうっても効き目が、なかなか現れぬ、歳だからとあきらめもあるようだが、子としてはそうとも言っておれない。休息と言っても、朝は別宅で、卵焼きはつくり、本宅へ運ぶ。みそ汁も、手前味噌だが、作るようにした。秋なすの皮の向きかた、味噌の入れ具合、他の野菜の切り方も覚えた。母は申し訳ないと言っているようだが、朝飯を作るくらいは大したこともない。
 コンビニエンストアで売っているサラダなども、時には購入する。キャベツやニンジンなども刻んであるだけに、食事時には重宝する。ネバニラ炒めなども売ってある、料理の不得手な者には大助かりである。
 しばらくは、門徒様の法要と、父母の料理作り、父母の医院への通院、大学への通学と、あわただしい日々が続くが、なんとしても乗り越えていきたい・・・そう思うこのごろである。
 法要が終わり、次の日にある寺へお礼を言いに出かけた帰り、道の傍らにコスモスがきれいに咲いていた。やはり、コスモス、暑いとは言え、秋の花である。
 ところで、コスモスの花言葉はなんだったけ。忘れてしまった、・・・自分流に花言葉を作れば、「秋風に流されても凜としている気高さか」・・・「凜」とでもしておこうか。
しばらくは、原稿は掲載していこう、そう思う。暑い日々が続く、勉学に集中はしたいが、父は父で畑の芋を起こしてくれ、畑の草が増えてきている・・・草刈りもして欲しい・・・健康であれば、当てにされ、何かと便利屋で使われる、・・・あまり水くさくも出来ない。
 片方に手を加えれば、あとの一方がおろそかになる。世渡りは、家族からと思うが、ほとほと疲れる。だが仕方がない、そうしなければ、歯車が回らない。健康が取り柄なのだが、いつまで我が身も持つことか。愚痴っても、仕方がないが、やはり歩むしかないようだ。
 あるブログには投稿をしているが、内容は少し変えてある。了承を願う。

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10月に入ったが?

Posted by 市井の忘れ草 on   0 comments   0 trackback

   

      東近江市・愛知川縁の彼岸花

 

 今日から10月だ、青空がじつにいい。どんな悩みさえも吹き飛ばしてくれそうな青空だ。秋風がさわやかに、体をすり抜けていく、心さえも洗われそうだ。くだらぬことに、しょげかえっているいる自分が馬鹿らしく思えてくる。四季折々に繰り返される自然の復元力と言うのだろうか、彼岸花を見ていると、実に気持ちがいい。 

 今朝方より、八十八歳の母の具合が悪くなった、前日の親戚の葬儀参列、寺の親鸞聖人七百五十回大遠忌法要の準備などからくる精神的疲労と、7月、8月と続いた畑仕事の無理がたたった肉体的疲労の蓄積が、一気に骨粗鬆症の悪化を招いたようだ。圧迫骨折で、背骨も何本かつぶれている、こんな体でも、家族においしい野菜を食べさせたいという親心が、母親を畑仕事に駆り立てていたようだ。健康づくりの意味もあったのだろうが、今となっては、母の安静を願うのみだ。

 今日は、地元の東近江市の社会福祉協議会から借りた車いすが、実に役立った。わずかな費用で借りられる、福祉社会の恩恵を痛感する。膝のくるぶしや腰など、痛みがひどくなり、安土の広田外科医院で、レントゲン撮影の後、注射を腰や膝などのしてもらって、帰宅した。

 帰宅後、昼食の後、少し痛みがましになったと言ってくれ、少し家族として、心が安まった。

家族とは、やはり、いがみ合うものではないようだ、家族はお互いに励まし合ってこそ、家族なのだと痛感する。

 そういってる我が身も、六十一歳の初期高齢者だ、家族の医療機関への搬送は、車がなくては成り立たない。今は感謝こそされているが、そういう自分が90歳近くになったとき、子がそんな対応をしてくれるだろうか、おそらく無理ではあるまいか。母の老いゆく姿に自分を、つい重ねてしまう。

 なんじゃかんじゃと言っても、両親は健在なのだが、先行きがどうしても不安になりがちになるのは否めない現実だ。父も、腰が痛いといいながら、天気が良ければ、畑の水やりだ。これも困ったもので、「こちらがするよ」と言っても、やはり朝早くから畑に出かけてしまう。人の生き甲斐は、また家族でも奪えぬものだとも思ったりする。

 こうした家族の負担を減らすため、3か所の畑の水やりの負担を解消するため、畑の各所に水タンクを置いた。水の散布も、じょろでは負担なため、タンクの他、ペットボトルの空き瓶に水を入れ対応するようにしている。来年は畑仕事の一切が、回ってくるのだろう。だが、耕す場所は、自らの体力を考えると、減らさざるを得ないだろう。

 父も86歳の高齢だが、畑仕事は限界のようだが、寺の用務には至って元気だ、布教活動も往時の勢い程は、依頼が少ないが、依頼があればオートバイで、滋賀の各地に出かけていく元気はある。畑仕事の中で腰は痛いと言っても、人前に立つと腰がピンとして、延々と立ち姿で1時間、2時間と、人の前で講演活動を行う。不思議と化け物のような「体力」は、未だに健在だ。

 元気な時と、元気でない時の落差の違いに、唖然とするときもあるが、やはり、一弱気高齢者の部類と言っている。人間とは、一見、矛盾しそうで、矛盾をしない混然とした「概念」をもつ生き物ではないかと思うときがある。人の生き様は、他人から見なければ、わからぬようだ。自分で自分のやってることの非合理性、矛盾性には、最後まで気がつきながらも、気がつけぬ存在なのかも知れない。・・・こんなことを考えてしまう。

 

 診察の帰り、母を車に乗せ、その帰りに愛知川の堤防近くを迂回して、帰宅した。鮮やかな紅い色の彼岸花が、実にきれいだと言っていた。出来れば、来年も家族でそろって、この彼岸花を眺めたいものだ、だがそれは、分かり切ったことだが寿命にゆだねるしかない。やはり、家族の願いは、揃って元気で過ごせるのが一番だ。老父、老母の元気を願い今日は、原稿を閉じるとしよう。

男の思考法?

Posted by 市井の忘れ草 on   0 comments   0 trackback

 此のizaブログの閉鎖が気になりし出した。何故、多くのブロガーがいるのに閉鎖を余儀なくされるのだと思う。こんなリニューアルには、正面切って反対だ。何とか、このブログの継続は出来ないものか、産経新聞誌の再考を求めたい。あまりにも、理不尽だ。簡単で投稿もしやすく、こんな利用しやすい「庶民向け」の良好ブログ開設サイトは、無いのに、それこそ庶民の声を奪う言葉にはならないか。何故に、此処のブログの廃止をせねばならぬのか、はなはだ疑問を感じざるを得ない。腹すら立ってくる。他のブログ開設サイトに比べれば、貧弱サイトになるのだろうか、それはそれで良いでは無いのか。こうした庶民のうずきの発散を提供してくれる場が、izaブログの良さではなかったのではないだろうか。再度、再度、再考をスタッフに求めたい。少数ブログの為の閉鎖でしかないのか、合点がいかぬ。この我が輩のブログも、移転をせざるを得なくなる。詰まるとことこのサイトに原稿投稿を絞り込んで行こうと思ってた矢先のことで残念の極みである。何とか、移設しなくて良いように、継続を願う次第である。

 まあ、もう決まり切ったことの用だから、これ以上は言わぬかが、企業の倫理まで問いたい思いだ。残念の極みである。予告になるが、このブログは「エキサイトブログ」に移転を考えてます。この事は、年末までに、予定を発表します。それにしても、「口惜しや」である。

  話は変わるが、「男のご飯炊き」と言う話題を述べるとしよう。我が伴侶が、母方の看病の関係で、しばらく母方の家に帰った。何せ、結婚以来、炊事仕事は妻に任せっきりであった。困ったのが、「ご飯炊き」である。一人では、何も出来ない自分を体験することほど、「つらく、情けない」ことはない。

 炊飯器のスイッチの入れ方、米のかしかた、水加減など、何も分からぬ「身の上」である。男は、やっかいなもので、プライドだけはある。結局、妻には何も聞かなかった。男一人が、一日に食べる分量を、二合に定め、米を洗い、とぎ汁を落とすこと、四回から五回、水洗いをし、炊飯器の目盛りを頼りに、二合の目盛りの所まで水を入れ、タイマー予約を行い、朝の六時三〇分に炊きあがるようセットした。

 以外と、普段、パソコンをいじっている感覚で、無事予約が出来、無難に炊きあがること二回の回数をこなした。順調であった。こうもうまいこと、炊きあがると、今度は次の欲が湧いてきた。水道水の水での炊きあがりでは物の足らぬようになってきた、・・・米の炊きあがりも、隠し味がだせぬ物か。コンビニで売ってある「霧島の水」を入れて炊きあげると、どんな味に出せるのだろうか。このほか、吉野の「ごろごろ水」や、南アルプスや、富士山の「ミネラルウォーター」を使うと、米の味に違いが出せるだろうか。ヨーロッパの「アルプスの水」何ぞもある。これらを、掛け合わせると、どんな味になるのだろうか。ご飯の「隠し味」何ぞに挑戦してみたくなった。

 だが、水と水を掛け合わせても、今までにない「究極の味」が出せるだろうか。どんな水を掛け合わせても、所詮、同じ味しか出ぬ物だろうか。微妙な違いの「味」が出せる物だろうか。産地の水の違いは、果たしてあるのだろうか。

 所詮、米は「食べるもの」と割り切って、腹さえ満たせばいい物か、いやいや、やはり、こう言うこだわりも持って、じっくりと味わう時間を作れば良い物なのか、・・・はてはて、男の考える事は、「暇なのか、ご飯炊きも一種の哲学」なのか。男とは、「下らぬ考え」を持つ存在なのか。炊飯のことさえ、哲学的に捉える自分も滑稽のような感じもするが、それはそれの楽しみの世界でもある。こうした機会を与えてくれたことに感謝せねばならぬのか・・・これは疑問符だ。

 昔、ボーイスカウトの講習会では、飯ごう炊飯をよくしたものだが、飯ごうの底をひっくり返し、ぐつぐつ炊きあがる具合を、木の切れ端で叩いて、炊け具合の確認をしていたものだ。その時以来の感覚だ。ちなみに、飯炊きは上手だと言われていた。そうした時以来の感覚だ、男が厨房に入らずと言う時代は、もう終わっている。ご飯を炊くにも、色々な想い、思いが頭をよぎる。そう思っている間に、なんやら腹が減ってきた。次回は、赤飯炊きや、山菜おこわにも、挑戦してみるか。

 これが、ご飯をはじめて炊く「男」の感想だ・・・女性にはどう映るのだろうか。ひま人の、戯言なのだろうか。だが、どんな水を使おうが、ご飯の味を「うまい」と味わうのは、「本人の心の持ち方次第」と思う事もあるが、・・・はてはて、これが「男の思考法」・・・面倒を見きれないと言う「細(妻)君・山の神」の声も聞こえて来そうな気もするが、・・・「米を炊くにも哲学」はいるのかな。やはり、妻には言われそうだ。あんたも、暇なお人ねと、やはり、答えは決まっていそうな気もするが。

 本当に、やれやれである。読んでいただいた愛読者も、ファンのみなさまも、ご苦労様。もう、ぼちぼち、新米も市場に売りに出される。早くうまい新米も、食べてみたい。

 人間の新米は、味を出すには、数十年かかるが、米の新米は収穫した年(歳)に食べるのがおいしい。米一つにも、様々な思いがよぎる。人とは、勝手なものであることよ。

  滋賀の里はもう早場米の刈り入れは終わり、供出も終えている、

晩生の刈り入れはこれからだが、ご門徒から「コシヒカリの新米」から寄贈いただいた。早速、食してみた、腰のある粘りのある糖質のおいしい米であった、圧力釜で炊きあげる米のおいしさは格別であった。

 通りがかりの道には、ちらほら彼岸花が咲いていた。本来なら、奈良明日香村に心が飛んでいるのだが、今年は行けるか見当がつかぬ。我が心の変化も、激しいようだ。ぼちぼち、本格的な写真撮影モードの中に居たいのだが、今年は行くのは無理かも知れぬ。明日香村の田の畦に咲く彼岸花、・・・稲穂の景色にあっている。米一つでも、いろいろと発想は飛んでいく。気ままなようだが、それも良しとしておこう。

はてはて、反面教師とは?

Posted by 市井の忘れ草 on   0 comments   0 trackback

 「人の振り見て我が振り直せ」と言う言葉同様に、「反面教師」と言う言葉も、どうやら健在のようだ。最近の時事問題は、どの新聞社の主張とて、綻び始めたのでは無いかとさえ思う。

 戦後、六十八年の太平の世である、日本は平和憲法のおかげで、米国の派兵要請もはねつけ、ベトナム戦争も参戦をせずに済んだ。おそらく参戦していたら、日本の情況も今とは変わった社会になっていたのかも知れないと思うときがある。

 韓国の朴大統領は、最近ベトナムを訪問したとあった。ある新聞では、ベトナム戦争時の住民殺害には謝罪すらなかったと言うことである。経済交流の話ばかりで、原発のセールスを積極的に行っていたということだ。・・・謝罪要求を求めないベトナムの姿勢もあきれるが、韓国の態度にも矛盾を感じざるを得ない。

 韓半島は、第二次世界大戦時は日本の領土であり、日本の統治下にあったが、戦場にはなっていない。住民の虐殺すら、行っていない。・・・今は不当な植民地支配を行い、韓国民に不当な扱いを行ったと言い、日本を叩く「反日運動」が「お盛ん」である。

 戦前の強制徴用、従軍慰安婦問題を振りかざし、現在では「東京五輪招致」にあたり、「福島の原発問題」を全面に振りかざし、

東北の海産物の輸入を禁止したり、いたれりつくせりで「日本」を叩くことにご執心である。

 広島・長崎の「原爆投下は神の意志」であると言い、サッカーの大会では、「歴史を直視しない国に未来はない」と言い、対馬の仏像は「倭寇の略奪」だと言い返還しない。韓国のご都合主義の歴史観で、日本を叩くことが、「愛国行為」なのだからあきれてしまう。最初に述べたベトナム戦争時の「住民虐殺」は、目を伏せたままだ。何も歴史を直視しようとしていない、醜い政治家のエゴがちらつく。おまけに、反日意識、丸出しの中国と連携しているからたちが悪い。こんな国と、隣国になるのは本当に不幸なことである。

 室町時代には、中国国王の臣下であると喜んでいた「馬鹿将軍」がいたが、国家的には政治的な支配は受けず、「貿易」だけをしていた時代がある。今の日本、外交は断絶し、貿易だけは行う・・・そんなつきあいがあってもいいのでないか。

  民間のつきあいはするが、国家的つきあいは、限定し選別した国だけと国交を結ぶ。領土問題で難癖をつけ、つけいる根性の隣国、近くても遠い存在の方がいい。

 グローバル社会と言う言葉をもてあそび、何もかも笑顔で開放すれば、寝首をかかれ領土はおろか、国民の命さえも危機に陥れる・・・こんな愚かな行為は慎まなければならない時代になったようだ。

 日本社会のグローバル化は避けられない現実にあるのだろうか、言語・宗教・文化・風土・風習・哲学・政治体制などに、微妙にからみつく問題を、論ぜずして、闇雲に受け入れれば、日本の国の組織すら存亡の危機にさらされ兼ねない情況に陥ることも考えねばならない。

 日本は、低俗な「嫌韓・嫌中」で成り立つ国では無いはずである。むしろ、「反日」でしか国が成り立たぬ国を反面教師として、偏狭なナショナリズムに走ることが無いように、国の国土保全・住民の安全を確保せねばならぬ。

 だが、反面教師の題材が多すぎる、うんざりしたのが、日本民衆の本音だ。

 中韓は、右翼化・右傾化と言う言葉が好きなようだ、日本の平和憲法の内容に干渉し、教科書問題にまでけちをつけるやり口の国家・・・右翼とは何なのか・・・何ら説明もなく信じ込まされる中韓の民衆も哀れだ。おそらく、中韓人に、「右翼」とは何かと問いを投げかければ、説明一つも反論できない国民ばかりだろう。要するに、何も理解できていないだろうと言うことだ。

 国家の言うことの理のみを真実として受け入れ、何ら疑問すら持ち得ない国民性・・・これも、反面教師の題材になるのだろう。

 日本国民とて同じだ、・・・反面教師の多いこと、うんざりするが、仕方がない。夏の名残の蝉の音が、妙に耳につんざく。これもうるさいが仕方がない。風流の世界は、やはり、まだまだ遠い。虫の音を愛でる心は、お浄土が近くに感じないと無理なようだ。こうやって、たまにどうにもならぬことをほえるのも、健全な「良識ある市民の声」なのか。いや、まだまだ修行の足りぬ自分の「ぼやき」のようだ。社会にもあきれるが、自分にも呆れる、やれやれ。

 

 日本の新聞では、ベトナム訪問に関してこんな記事もあった。

引用すると・・・

■「日本のやったことに比べれば小さいこと」

 中央日報などはこの「沈黙」も両国和解への意志を示したものと強弁するが、ライダイハン問題などを積極的に追及していることで知られる新聞・ハンギョレは社説で、日本への「歴史を直視せよ」との要求を引き合いに、朴大統領の態度を糾弾した。

「これは私たちが日本に歴史直視を要求していることと矛盾する。自分が受けた被害は是正を要求しながら、自分が負わせた加害は知らんふりする態度ではどこの誰からも本心からは信頼を得られない」

 しかしこうした指摘に韓国ネットの反応は冷淡だ。掲示板などでは、「日本がしたことに比べれば小さいことだ」といった声も書き込まれている。

 

…どう批判しようとも、韓国でこの件を糾弾しようとする意見もあることはあるが、良心のかけらのある世論の醸成まで至っていない。「日本がしたことに比べれば小さいことだ」…こんな、下らぬ書き込みもあるようだが、「韓国軍がベトナムで、機銃掃射を浴びせ、罪のない多くの老若男女を殺害した歴史の清算・謝罪」すら行われいないのが、現実である。

 歴史を直視していないと日本攻撃をやるのは良いだろうが、韓国民自体がどうなのだ。ベトナム戦争の謝罪すらせず、放射能・死の灰を降らす原発をどうどうと無神経に輸出する鈍感さ、こんな国に歴史など語る資格などない。こう思えば、日本叩きは、「反日病」という一種の「熱病」だろう。いずれ、中国韓国から、感染すると「反日になる」病原菌が発見されるのだろうか。

 こんな「病原菌」が発見されれば、「ノーベル賞」ものだろう。しかし、菌の本質は求めず、中韓は、「反日菌」を増殖・拡散・拡大を図るだけで、自ら直そうとはしないだろう。始末に負えないのは、この菌をうのみにし、感染した「患者」である。二一世紀、「反日菌」の増殖だけは、御免被りたい。

日々の思い

Posted by 市井の忘れ草 on   0 comments   0 trackback

 今日は、寄せ集めの原稿を掲載してみた。夏期中旬から下旬にかけてのものである。

ご無沙汰の原稿
①相変わらず、暑い日々の連続が終わりそうにない。地域の変わったことと言えば、蝉の鳴き声が、「つくつく法師」に変わりつつあるという現実だけだ。それにしても暑い現実は嫌になる。蝉の音が、暑さが暑さを過熱する。
②久しぶりに京都へ来た、お盆依頼の京都だ、滋賀の地元の方が暑く感じられた、多少の地域間温度差ということか、滋賀の気温も、京都の気温も感じられるのは、内陸性の何とも言えぬ湿気の鬱陶しさか。
③暑さも、ほどほどと言いたいとことだが、大学図書館の中とて、慣れてしまえば、温度調節してあるとは言え、やはり暑さを感じる。自宅の中に居るよりかは、ましだが贅沢な物だ、人間の感情というものは。遣り切れぬ物を感じる。
④思うように捗らないのが勉強と言うものだ、その場から逃げても何等影響などない、逃げなかったとしても影響はない、結局自分が悔いるだけの話だ。他人には関係の無いことだ。そこには、努力の過程が見られなかった哀れな自分の醜態があるのみだ。
 

蜘蛛(くも)の糸

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 朝、寺の本堂のお参り(勤行)を終え、寺の入口に巣をつくっている蜘蛛を見つけた。一昔前なら、邪魔なものだと思い、箒(ほうき)で払ってしまっていただろう。だが思いとどまった、夜に外灯をつける灯り(あかり)に飛び込んで来る蚊や蠅などの小動物のエサを狙って、巣を張っているのであろう。一見、不気味な存在だが、蜘蛛などの動物も、人に害するものを駆除していてくれると思えば、人間様の仲間の内かとも考えてしまう。

 寺と住まいの間も離れているが、五メートル以上だろうか、そこには別の蜘蛛の巣がある。これも、長い巣をつくり、日々の暮らしを営んでいるようだが、よくも長い巣を垂らせたものと妙に感心する。すべて、生きんが為の技なのだ。虫や蝶などを捕食し、日々の生業としているのだろうが、獲物が引っかかってくるまで、ひたすら待ち続ける「忍耐力」は大したものだ。暑さ、涼しさを超え、いつまで生きるのか・・・蜘蛛の寿命は知らぬ、越年する蜘蛛の種類もあるのか、子孫を残さず朽ちていくのか・・・詳しいことは、分からない。

 ただ、蜘蛛に学ぶものがあるとすれば、延々とわが巣にかかる餌を当てども無く待ち続ける忍耐力か。

 蜘蛛の巣は、人が取り払ってしまっても、また負けじと、同じ場所に巣をつくる習性があるようだ。

 外見の異様さ故に、人間様には嫌われてきた歴史もあるようだが、考えようでは害虫を駆除してくれる存在であり、貴重な存在なのだと考えても良い。

 南米などでは、毒蜘蛛などもいるようだが、日本ではそんな種類は稀だろう。幼いころ、蜘蛛の巣を気味悪がり、蜘蛛を足で押しつぶしてきたことを思い出した。思えば悪い殺生をしたものだ。蜘蛛が人家に巣を張るのは、人の生活の匂いをかぎ取り、共存する・共存できるものを感じているのでないか。そう考えると、愛着さえ湧いてくる。気味悪いからと、むげに排除するべきものでは無いだろう。

 芥川龍之介の作品に、『蜘蛛の糸』なる小作品がある。お釈迦様が、極楽から糸を垂らし、地獄に落ちた罪人を救ってあげようとする内容だが、蜘蛛は数千年前から人と一緒に暮らしてきた証だろう。

 悪事をしてどう救いようもないない人間だが、ただ一つ、その罪人は蜘蛛を足で押しつぶそうとして、思いとどまり、蜘蛛を救ってやった。それが、善行(功徳)となり、お釈迦様が蜘蛛の糸を地獄へ垂らした。罪人もそれによじ登ったのはいいが、自分だけが救われる糸だと言い張り、あとからついてよじ登ってきた罪人と共に地獄へ結局は戻る羽目になった。

 この作品からうかがえることは、やはり、人間とは罪深い自己中心的な存在であることか、時の心の呵責で、糸(わずかな救い)すらも棒に振ってしまう存在名のだと思う。

 渡る世間、如何に救いようのない人間の多いことか、国や国の政治家・・・多くの救いようのない世界が、多くある。そう思えば、蜘蛛は結構、『存在感』のある動物なのかも知れぬ。今日も、雨の中、あてどもなく我が家の外に巣を張る、蜘蛛は凛として動かない。だが、煙草の煙は嫌なようだ。英語の訳はしなかったが、お釈迦様在世の頃には、煙草がなかった・・・なるほど、仏教の戒律には、僧侶は煙草は吸ってはいけないと言う規定はない。南方仏教僧の煙草の吸うことは聞いたことがある。蜘蛛の話題一つでも、様々な所に考えが飛ぶ。世間の見方は、さまざまにあると言うことだ。短い話も長くなってしまった。今日は、これでお終い。

 

I finished the prayer (religious service) of the main hall of a Buddhist temple of the temple in the morning and found the spider which made a hideout at the entrance of the temple.
I thought that before age was obstructive and would pay it with a broom (broom).
But, at the bait of the small animals such as a mosquito or the fly jumping into a light to add an outdoor lamp to at the night when I gave it up, I will set a nest.
Seemingly I am a weird person, but think if I think that the animals such as spiders get rid of the things to injure to a person whether it is of the friend of human being.
It is far between a temple and the house, but I will be more than 5 meters, or there is a different cobweb there.
I make a long nest, and this seems to run a daily living, but admires strangely that I was able to drip the nest which I am good, and has a long it.
It is life conduct to live all.
"The patience" to wait on for earnestly is a great thing until I prey on an insect or a butterfly, and game is caught even if it is a thing living by of days.
Across heat, the cool, the life of the ... spider does not understand the ... detailed thing till when you live whether there is the kind of a spider seeing the old year out not to know whether you die without leaving a descendant.
But is it patience to wait on for bait suffering from our nest endlessly without aimlessly if a spider has a learning thing?
Even if a person takes away the cobweb, I think that you must not lose again, and there seems to be a habit to make a nest in the same place.
Because of grotesqueness of the appearance, human being seems to have the history that has been disliked, but think and the arm is existence getting rid of the pests and may think that you are a valuable person.
In South America, there seem to be the poisonous spiders, too, but such a kind will be rare in Japan.
When I was young, I was revolted by a cobweb and remembered that I crushed a spider with a foot.
I did bad killing if I thought.
I smell the life of the person and take that a spider sets a nest in the house and do not feel the thing which you coexist, and can coexist?
I let you attach yourself and spring out when I think so.
There will not be it with the thing which you should remove flatly when weird.
There is the small work named "the spider line" in the work of Ryunosuke Akutagawa.
I hang down a thread from the Land of Happiness, and Buddha is the contents which are going to save the criminal who fell into the hell, but the spider will be the proof that I lived for with a person from several thousand years ago.
It was a few few human being, but one, the criminal only gave it up to crush a spider with a foot and saved a spider though I did an evil deed, and there would be the help that how about.
It became the good deed (act of charity), and Buddha hung down a spider line to the hell.
It was good that the criminal climbed it up, but when it was the thread that only oneself was saved, I insisted on it and was made to come back to the hell with the criminal who I was available later, and climbed it up after all.
After all it thinks that a human being is a thing of the existence name that even the thread (slight help) wastes for the stings of the sinful being an egocentric person or heart to be indicated from this work.
It is that the world, state of things to pass have many pathetic human beings, or there is many pathetic world of a lot of country and the state politicss ...
A spider may be to be an animal with "the presence" plenty if I think so.
In rain, I keep watch on the den without expectations today outside my home
The spider makes it dignified and does not move.
But I seem to hate the smoke of the cigarette.
 

遅れてきた蛍と蝉

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 周囲の様子は、すっかり秋景色だ。蝉の声が、虫の鳴き声に変わった。すっかり、秋の気配だ・・・涼しさが心地よい。

 今から数年前であるが、地蔵盆のお参りの帰り、まだ暑さが感じられる時のことである。夜の九時過ぎのことであった。暗い稲穂の上を飛行している「」を見つけた。たった一匹であったが、光の軌跡を鮮やかに、この眼に記憶している。

 普通ならば、七月過ぎでは出没し、私たいの目を和ませてくれるものだが、どうやら八月過ぎに見たは遅れてきたのようだった。

 おそらく巡り会いたい連れ合いも探せず、この世から去っていったのではないか。子孫さえも残せず去っていった、なにかそう思うと哀れさを感じざるを得なかった。地から出てきた折は、喜び勇んであっただろうが、仲間のいないことに気がついたときは、果てるときだ・・・人の一生も、こんな者がいるのかも知れない。

 時代に翻弄された者、時流に乗り切れなかった者、時代という字にもてあそばれ、己の本流・本分を生かし切れなかった歯がゆさを、連想する。

 人間の世界・・・様々なドラマがあるだろうが、動物の世界とて同じだ。改めて、諸行無常の世界を想う。

 つくつく法師の鳴き声も、今しばらくのことだろう、声の尽きた頃に、寒さが訪れてくる。四季の循環を感じると共に、蝉の鳴き声も、やがて耳から遠ざかる。・・・人の心は、紅葉の林に関心が向かう。

 

The surrounding situation is a scene completely in autumn.
The voice of the cicada changed to the cry of an insect.
Completely, it is a sign of autumn... Cool is comfortable.
Although it is several years ago, they are return of visit to a temple of a Jizo-bon festival, and a thing in case heat is still felt.
It was past [ of night / 9:00 ].
The "firefly" which is flying the dark ear-of-rice top was found.
Although it was only one animal, the locus of light is skillfully memorized to this eye.
If it usually becomes, a firefly appears frequently past [ July ], and the eye of  is softened, but the firefly seen somehow past August seemed to be the behind firefly.
I would like to encounter probably -- couldn't you search taking each other and go away from this world?
the firefly which even posterity could not leave away -- it had to be thought that pity considered some so.
Although it was probably glad and had cheered up, the chip box which came out from the ground is a time of ending, when you have noticed that there is no friend... Such a person may be needed throughout life [ of people ] also.
It is made the sport of a character called those with whom the time trifled, those who were not able to overcome in the trend of the world, and a time, and is reminded of the impatience which was not able to utilize itself's main stream and duty thoroughly.
Man's world ... Although there are probably various dramas, it is the same as Sekai of an animal.
Anew, I consider the world of the impermanence of all things.
When the voice which will be a thing for a while now was exhausted, cold also visits Hoshi's cry to attach and to attach.
While feeling circulation of the four seasons, the cry of a cicada also keeps away from an ear soon.
... As for people's mind, concern goes to the wood of autumnal leaves.